April 2006


brussel03.jpg
brussel01.jpg
brussel02.jpg
週末にOxfordで友人の結婚式があるのでイギリスへ。
その前にどこか行った事のないところを旅したい!と
いろいろ考えた結果、ブリュッセルへいくことに。
完全な初めての一人旅となりました。
前日徹夜で仕事するほど忙しくって
事前の下調べもあまりなく、ロンリープラネットだけが頼り。
ネットでたまたま見つけたB&B, ZINNEKE
サイトのかわいさで選んでしまいましたが、ほんとに大正解。

子供用の教科書の編集者が本業という、おされメガネのおじさんがオーナー。
自宅兼仕事場兼ゲストハウス。これ、将来の目標にしたいくらい。
部屋には50sの家具があふれていて机の上のタイプライターには
タイプ途中の紙。dear naho, welcome to zinneke!と書かれていた。
くすぐったくなるような演出ですねぇ。
壁の文字はちょっとどうかと思うのですが、全体的にはかわいいので許します。

ブリュッセルの街はおもちゃみたいで本当にチャーミング。
かわいいなぁと一人で何度つぶやいた事か!
ビールもチョコもほんとにおいしいんですもの
一人旅は話す相手があんましいないので口には食べ物ばかり入れ込んでます。

仕事持参の為、マックが旅のお供になっているのでアップしてみた。

デンハーグからアムスへもどり、自転車で健康的な観光を。ノリノリなのは自転車にですよ。アムスが地元という友人の友人のガイドのもと、どこまでもつっぱしる。水がある街は本当にきれいです。こちら5歳の子供も一緒なのでレッドライトエリアではかたぐるま。それでもねぇ、目はうっふんおねーさんのヌード写真をちゃんとチェックしてるんですよねぇ。意味はわかっていないかもしれないけど、これが将来にどう響くのか、、、。飾り窓には噂で聞いた通り、ランジェリ−姿のおねーさんがたっているのだけどみんなごつい!男の人とまちがえちゃうくらいです。こういう肉っぽい感じに世界中の男子はエロを感じるのでしょうか?カーテンがしまっている部屋はお取り込み中なんだとガイド君がいっていたけど昼間っから閉まっているところがほとんどでしたよ。すごいなぁ。。。観光エリアのコーヒーショップで売られているドラッグはけっこう偽物が多いらしいです。それでもへろへろな観光客をみましたがあれは気持ちの問題なのかしら?

fiesta
1
バルセロナ住んでいて驚くのは本当にたくさんのFiestaがあるということ。
本日4月23日はSt.Jordiというカタルニアの守護聖人の日。
女の人は男の人に1冊の本を贈り、男の人は女の人に薔薇の花を一輪あげる習わしだそうで
街中は薔薇の花を持って歩くカップルと薔薇を売るスタンドであふれていました。
このかわいらしい風習を日本でもポストバレンタイン的に?
流行らせようとしたみたいだけど失敗に終わったみたいですね。
女子的にはチョコだけでも大変なのに本まで贈るなんて!という心境でしょうか。
しかもお返しはたった1本の薔薇ですものねぇ、そりゃあ考えちゃいますよねぇ。なーんて。

そして本日は日本でもそうであるように、アースデイでもありました。
うちから歩いてすぐのCIUTADELLAという公園にはNUCLEAR? no GRACIAS!の旗がたなびき、
動物愛護団体や指圧グループ、自然分娩推進団体、エコカーなどのエコ?なテントが立ち並んでいた。
中には幽体離脱研究団体なんてテントもあり、おじさんが熱心に話を聞いていたり
目を閉じたつくり笑顔でゆっくりおどるグループがいたりと
日頃は日陰でさみしく活動しているような怪しげな団体がここぞとばかり元気に活動しておりました。

バルセロナ近郊のワイナリーや牧場からも物産展のテントが参加していたので
ワインとチーズそしてパンを買って人ごみを避け芝生でごろり。。。
そんな素敵な日曜日でした。

dic
dacafeモリユージ氏的に言うならば、本日のありえない。
先ほど買った英語/スペイン語辞書。
CANを調べようと思ったらAのセクションの次がいきなりDだった。
BとCの70ページほどが抜けてます。
これもスペインだからなのか。。。。

2
SemanaSantaの次の日、モロッコに一緒にいった女子2人とアアロンは
マヨルカ島へ飛び立っていった。
マヨルカの後1人はブリュッセルへ、アアロン夫妻はヴェネツィアへ。
わたしは月末までバルセロナでおとなしくしています。
またすぐに会えるのにもかかわらず、
いつもは決まって涙のお別れになるのだけど
今回はうちの近所のスペインバルでワインをあけて
他にお客さんがいないもんだからみんなで適当に踊っちゃって、大爆笑でお別れ。
お店のおじさんがプラスチックで出来た闘牛士の帽子をかぶせてくれたり
水玉のテーブルクロスを腰にまいてドレスに仕立ててくれたりして即席フラメンコ。

と、いうわけでこのおきらく旅ブログをついに公開!
コメントがすべてゼロで寂しい感じなのは今までのブログから引っ越しをしたからです。

mara_inori1.jpg
ドイツ人のルームメイト、ガビがモロッコにいったら絶対にハンマムへ行くべき!といっていた。
ハンマムとはサウナ&公衆浴場みたいなもので
ありえないくらい固いたわしのようなもので
モロッコ人のおばちゃんが際どいところまで
ごしごしと洗ってくれるのらしい。
各国でスパやら健康ランドやらに潜入して
文字通りの裸の付き合いをしてきた私たち女子3人は
こりゃ絶対いかなくては!と思っていた。

ハンマムに行く前にまず市場で
ガソリンを固めたみたいな茶色くてあやしい見かけの謎の練り石けんと
韓国でよくみかけるようなアカスリタオルを購入。
タオル持参でリヤドのママが教えてくれた、清潔なハンマムへ。

ロッカーに通された私たちはモロッカンのおねーさんに
いきなり服を脱ぐように指示される。(完全にジェスチャーですけどね)
たいていこういうところでは素っ裸が多いので何の恥じらいもなく
普通にパンツも脱ごうとしたら、それには待て!のサイン。
パンツは履いておけのジェスチャーに従い、パンツ一丁で
便所サンダルと呼ぶのが絶対的にふさわしい、ゴムのつっかけを履かされる女子3人(オール30)
ええ、かなりまぬけです。
下手したら屈辱的にも見えかねない、お互いのそのまぬけな格好に大爆笑。

その格好のまま、床も壁も天井もすべて大理石でできているサウナへ通される。
おねーさんは手際よく洗面台にお湯をはり、
小さな洗面器で容赦なくバシャバシャとパンツ一丁のわたしたちにお湯をかけてくる。
もちろん私たち、この間もパンツはいたままです。
パンツずぶぬれ。きもちわるいったらない。
そして例のあやしい練り石けんを体中にぬりたくられ、アカスリされる。
だいたいのやり方を教えてくれたら、あとは自分たちでやりあえの指示。
そんなわけでパンツ一丁&つかっけの私たち、
その指示に従いこすり合い、お湯の掛け合いですよ。
もちろんパンツのままね。えへへ。

後から入ってくるどこのお国の人かわからない
おばちゃんもナイスバディのおねーちゃんもみんなパンツ一丁につっかけ。
そんな人たちを観察しつつ、サウナの中でモロッコねーちゃんの次の指示待ち。
しばらくして体も暖まってきたころに、ビニールのベットのある部屋に通される。
ベットに寝かされ、暖めてあったアルゴパックを全身に塗りたくられる。
一瞬だけ、ささっとパンツをおろされ、お尻にもパックを塗られるが
またパンツは戻され普通に装着中。アルゴパックは昆布飴のかおり。
そのあとレジャーシートでぐるぐる巻きにされミイラのような状態で20分くらい放置される。

もう私たちのことなんかお忘れになったんじゃないのかしら?と心配になった頃
解放され、シャワールームへ。ここでようやくパンツを脱げのサイン!
無理矢理な感じで剥がされ、ぐちゃぐちゃビショビショパンツを
ぎゅっとしぼられ笑顔で渡される。
普通にシャワーを浴びて出てくると
今後は持参したバスタオルをもって待ち構えているモロッコねーちゃん達。
されるがままに体をふかれて、メルシー!と笑顔でおしまい。
なんだか一連の流れにあたふたしつつ、パンツ一丁の時間を充分に楽しんだ私たち。
終わった事にはお肌はすべすべ。えへへ。

写真:お昼のお祈りをささげるモロッカンたち。

マラケッシュからオンボロバスに揺られること3時間。西南へ。
エッサウイラというジミヘンもデビットボウイも
愛したというビーチタウンにつきます。
モロッコ特集を送ってくれたフィガロの美人編集女子にも
バルセロナっ子にも強く勧められたこのエッサウイラ。

ここのテーマカラーは白と水色。
タクシーも漁師の服も船も窓枠も空も海もみーんな青!

リヤドのママが知り合いに声をかけてくれて、
エッサウイラでもかわいらしいB&Bに泊まる事に。
かわいかったけど、仕切ってるのはオーストラリア人の男子。
ずっとマリファナくさかった。ヒッピーハッピータウンらしい?!

漁師の街。海辺のシーフードスタンドで炭火焼き。
相席のおじさんはあまりのおいしさに小指がたっていた。

ビーチでごろり。
今回は置いてきぼりのだんなや恋人の名前を砂に書いてみたり。。。。。
なーんておとめ部な活動もやってみた。
だってここはヒッピーハッピータウンなのだ。

ショッピング中に出会った、楽器屋さんで働くベルベル人男子を
エッサウイラ、夜の社交の場で発見。
ボブマーリーをリスペクトするラスタな彼はジャマイカには行った事はないらしい。
NO GOOD BYE IN THE NIGHT, GOOD BYE IN THE MORNINGというのが
モットーの彼。
ここの街で出逢った、たくさんの女達の写真を酒のつまみに見せられる。
あやうく彼の乗り捨てのターゲット候補になってしまう感じも
ヒッピーハッピータウンならではですかね?

moro_food01.jpg
あさごはん。焼きたてのパンはカゴに。バターやジャムはモロッカンな器に。
moro_salad.jpg
代表的なモロッカンサラダ。クミン、レモン、パセリ、ピーマン、トマト、オリーブ。
シンプルだけどどこでたべてもはずれなし。
そしてクスクス。あたしが知っているクスクスより粒が小さかった。
moro_food03.jpg
全部同じにみえますが、すべて微妙に違う味なのです。
トマトのお砂糖煮も有名らしい。ジャムみたい。
moro_food05.jpg
屋台でたべたハリーラスープ(奥の鍋)トマトベースのマメスープ。一皿20円。
moro_food08.jpg
タジンとよばれる煮込み料理。これはプルーンとラムとアーモンド。甘め。
moro_food04.jpg
ミントティにはだいたい既にお砂糖が入ってます。上から泡をたてる感じで注ぐ。
こんなサービススマイルも時々あります。
moro_pas.jpg
リヤドで最後にたべたバスティーリャ。(写真右)お祝いの料理。
鳩の肉、アーモンド、レーズンなどがみっしりはいったパイ。
それを切っているのは一緒にお食事をしたブルターニュ出身のカップル。

毎食、大食い選手権か?!というくらい量が出てくるんだけど
日本人的「ごはんを残してはいけません精神」が働き、食べ続ける毎日。
こんなわけで気がついたら最終日にはジーンズのボタンがとまらなくなりました。
自分が映っている写真では鼻がほっぺたに埋もれているのも確認。
また記録更新中ですよ、まったく。

mara01.jpg
mara02.jpg
RIAD DARNAはメディナとよばれる城壁の中、旧市街にあります。
メディナは迷路のように入り組んでいて、
細ーい道には人、自転車、ロバ、バイク、車がごっちゃまぜ。
建物も車もバスの城壁もみーんなサーモンピンク。

マラケッシュではアジア人=日本人=お金を持っている人
という図式が出来あがっているようで
スークと呼ばれる市場では誰もがハロージャポン!と声をかけてくる。
私たちは日本代表の気持ちはまったくないので
最初はそんな呼ばれ方に戸惑うばかり。。。

他によく言われた言葉は
「モモタロォ」(突然ささやかれる)
「ヤスイ NOT タカイ」「ソラトブジュウタン、アリマスヨ」
「ミヤサコデス(手のふりもついてるが間違っている)」
「アキハバーラ」
数年前バリにいった時は「オッハー」を連発され嫌な気分を味わいましたが
一体どこの日本人が何を思ってこういう言葉を教えるのかさっぱりわかりません。

市場で売っている物には値札がついていないことがほとんどで
いくら?と聞くと最初はかならず法外な値段をいってくる。
高すぎる!と大げさに言って立ち去ろうとすると値段はどんどん下がり
気がつくと1/10まで下がっているなんて事もあった。

とあるお店で小物入れを買おうとしたら
30DH(ディルハム。モロッコの通貨)の値札をみせられ
この”D”はDじゃなくて”0”でこれは300ディルハムだと真顔でいわれた。
そんな解りやすい嘘を言ってまで、儲けようという態度になんだか無償に腹が立って
自分でもはっとする程大きな声で抗議してしまった。
日本人はおとなしくて静かなものだとばかり思っていたようで
お前はベルベル人の女かと驚かれた。
ベルベル人とはモロッコの先住民で特に女の人は頑固なことで有名らしい。
大声交渉の結果、30DHよりも安くしてもらって大満足。
交渉している額が50円の差だったりすることにちーせーなぁとあとで思い返しつつ
その後もベルベル女上等!とかなり勝ち気に買い物を進め、終わった頃にはヘトヘト。
モロッコでは日本人女子はかなりエネルギーを使います。。。

darna.jpg
darna_rooftop.jpg
モロッコの旅から戻ってきました。
一晩寝ても興奮覚めやらず。。です。
今、旅の話をすると興奮しずぎで
林間学校帰りの娘のようになっているらしいです。あはは。

早朝、街中に大きな音で響き渡るお祈り開始のアナウンスで目覚め、
12時前には眠る毎日。
携帯も電話もインターネットもテレビもない生活。
毎朝、屋上のテラスで焼きたてのパンとコーヒーをいただく贅沢。

モロッコにはRIAD(リヤド)とよばれるB&Bがたくさんあって
私たちが見つけたのはフランス人夫婦が経営しているとてもちいさい一軒、
RIAD DARNA
昔からあった古い建物のかわいさを残しつつ、
元ナースのママが新しいデコレーションを加えています。
それはそれはため息もので、しばらく言葉が見つかりませんでした。

このフランス人夫婦、2年前に初めてモロッコを旅したときに
ここに絶対に住もうと決めたらしい。
そして7ヶ月前にこのRIAD DARNAの物件と運命的出逢いがあり
フランスの家を売って移り住んできたんだって。

ほんとにいろんな体験をしたけれど、それは後ほどゆっくりと。。

Next Page »